17歳年上の旦那と出逢った頃の話
私は今32歳で、旦那は49歳。
よく、「どこで知り合ったの?」と聞かれるので、そのときのことを忘れないように書いておこうと思います。
2010年、不倫してました
風が冷たくなり、吐く息も白くなってきた頃。
当時1年半ほど付き合っていた人と別れました。
原因は、不倫だったから。
妻子のある人だと知っていたのなら、私は絶対に付き合っていなかったでしょう。
途中で発覚したので、そこでもうさようならです。
この世の終わりかと思うほど落ち込み、傷つき、自分の馬鹿さにも呆れて、そのあとは荒廃した生活を送っていました。
当時私は、日進市のガソリンスタンドで朝から晩まで働いていました。
早番勤務(7:00~18:00)が多かったので、仕事が終わったあとは、当時乗っていたレガシィを気が狂うほど磨いたりオイル交換をしたり。
家に帰ると寂しいので、閉店までお店に残っていました。
そのあとは、ガソスタの後輩を引き連れて長久手のジョイフルへ。ジョイフルが閉店したらカラオケ店に移動し、朝を迎えます。
一旦帰宅してシャワーを浴びて、6時半にはご出勤。
寂しさや虚しさ、苦しさを紛らわす。そんな毎日でした。
もっといろいろあるけど、詳細は生々しすぎて書けないので、これはほんの一部です。
2011年、出逢います
バケツの水が氷になる頃。
朝7時からのガソスタ勤務は、ものすごく寒い。
それでもフルサービスのお店だったので、冷たい水に濡らしたタオルで車の窓を拭くのは、本当に地獄でした。
そんな中でも、常連さんといろんなことを話したり、ときには野菜をもらったり、それなりに楽しく仕事をしていました。
おじさんウケの良い私は、とにかくファンが多かったのです(信じられないかもしれないけど、これは本当です)。
ブラジル人からのガチナンパも多かったです。
常連さんの中の一人に、ガソスタの近所で会社を経営しているYさんという人がいました。
お喋り好きで、オシャレでアウトドア好きで車が好きなアラフォーでした。
Yさんの乗る仕事用の軽トラの窓を拭きながら、ガソリンのノズルを挿しながら、給油キャップの鍵を返しながら、いろんなことを話したものです。
「この前彼氏と別れたんスよ~。誰かいい人紹介してくださいよ~」と軽い気持ちでYさんに言いました。
「オッケ~。じゃあ今度くごちゃん(※)を慰める飲み会でもしようよ」という話をしました。
※くごちゃん…私の旧姓で、周囲の人からはそう呼ばれていました
Yさんとのそんなやりとりもすっかり忘れて、1ヶ月ほど経った頃。
「くごちゃん!2/4に飲み会するから、おいでよ」
Yさんから連絡をもらって、飲み会へ行くことになりました。
そこに、旦那がいたのです。
旦那に一目惚れ、猛アタック開始
飲み会は、日進駅の近くにある居酒屋で開催されました。
当時旦那は42歳で、私がそれまでに付き合ったことのない、ワルそうで男らしいワイルドな人でした。
私は初めて見た瞬間、松田聖子が言うところの「ビビビ」を感じた訳です。
おかげさまで、そのあとは夢見心地。何を話したか、あまり覚えていません。
その飲み会が終わったあとに連絡先を聞き、私の猛アタックが開始。
「押してダメなら引いてみろ」なんて言葉がありますが、私は引き方を知りません。押すことだけを知っています。
初めてのデートは、長久手のイタリアン食べ放題店での食事でした。
その日は、食事だけしてサラッと解散。
当時の私は、なぜか女王様気質で、「男性になんでもやってもらって当たり前」状態でした。男性への気遣いなんて皆無です。
旦那にはそれが気に入らなかったようで。なぜなら、旦那は古風な亭主関白だったからです。
メールでそんな話をして、何が何でもお付き合いしたいと思っている私は、信頼回復に向けて「今度から気を付けるから、またデートして」と約束を取り付けます。
そして、2回目のデートに挑みます。
私はフライドポテトが大好きです
2回目のデートは、赤池駅にある風来坊でした。
今度こそ気に入ってもらおう、でも恥ずかしくてあまり話せないどうしよう……と思った私は、お酒の力を借りることにしました。
胡椒の効いた手羽先やフライドポテト(昔っから大好きなのです)を食べ、お酒を飲み、いろいろと会話してとてもいい気分になった私。
旦那「前もフライドポテト食べとったな。好きなの?」
私「ウチ、昔っからフライドポテト大好きやねん。3歳のときから好きや」
しばらくすると、旦那の携帯にYさんから電話がかかってきました。
「今、植田駅の近くで飲んでるから、くごちゃんと一緒に来なよ~」
当時私は植田駅の近くに住んでいたので、帰りついでに寄ろうということで、旦那と私はYさんのいる居酒屋へ移動しました。
植田にある、ちょっとお年を召したママさんのいる居酒屋で、「くろうま」という焼酎を飲みました。
とっても飲みやすくて、グイグイ飲めます。
調子に乗って、いつの間にかロックで飲んでいました。
宴もたけなわ。
眠くなってきたしそろそろ帰るか…と思ったけど、左右の視野が3割ほど失われていることに気づきます。
まっすぐ歩いているつもりが、天地がどっちかわからなくて、完全に千鳥足です。
Yさんが「くごちゃん大丈夫か?」、旦那が「とりあえずタクシー呼んでくれる」と会話していたことは覚えています。
そのあとタクシーに押し込まれたことも。
気がつくと、そこはとあるラブホテルでした。
ラブホですが、何もしてませんよ、何も。
私は自分で服を脱ぎ散らかし、「お風呂に入るわ」と言って風呂へと向かいます。が、旦那がお湯を張ってくれると言うので、スッポンポンのままベッドで大の字に。
もう、左右の視界は5割以上なくなっていて、天地もわかりません。
旦那に「お湯が張れたぞ」と言われたので、お風呂へと向かいました。
浴槽に浸かっていると、なんだか気持ちが悪くなってきました。
我慢しきれず、浴槽から身を乗り出してリバースです。
排水溝が、風来坊で食べたフライドポテトで詰まっていました。
旦那に顔や髪の毛、体を洗ってもらって、一旦お風呂場を出ます。
体をタオルで拭いてもらっていると、また胃からこみ上げてきました。
仕方なく、脱衣場の洗面台にリバースです。
ここでもまた、フライドポテトが排水溝から流れることなく留まっていました。
(お食事中の方、すみません)
「あ~、ウチってあんまり噛まんと飲み込んどるんやな~」なんて呑気に思っていました。
その後ホテルのパジャマに着替えて、寝ることに。
今度は頭がガンガンしてきて、なかなか眠れません。
また吐き気を催してきたので、ベッドの横にあったゴミ箱にリバースです。旦那が背中をさすってくれます。
どうして人に背中をさすってもらうと、安心するんでしょうね。
子どもの頃、母に背中をさすってもらったことを思い出し、涙が出ました。
嗚咽で涙が出てきただけだと思いますが。
その後、何度か寝ゲロしながら朝まで寝たような寝ていないような時間を過ごしました。
旦那はいびきをかいて寝ていました。
愕然とするってこういうこと
朝。
目が覚めると、「見知らぬ、天井」。
枕にゲロ、ベッドにゲロ、ゴミ箱にゲロ。
さらに、洗面所も風呂場もゲロ。
記憶のかけらを拾い集めてみて、自分がやったことだと気づきます。
鼓動が早くなり、顔から血の気が引いていくのがわかりました。
旦那「ゲロ臭くてほとんど寝れんかったぞ」
いや、いびきかいてましたやん……。
とりあえず、車を停めていたコインパーキングに向かいます。
また、胃からこみ上げてきたので自販機の裏でリバースです。
このとき出てきたのは、鮮やかな黄色の胃液のみ。
10時から仕事があったので、ガソスタへ向かいます。
その間も、こみ上げるゲロを抑えきれず、車を停めてドアを開けて、何度かリバースしました。
出てくるものは、飲んだ水です。
ガソスタについて、仕事を開始。
ガソリンのニオイを嗅ぐと、猛烈にこみ上げてきます。
事務所の洗面台でリバース。
フライドポテトはもう出てきませんでした。
ガソスタ店長「顔色ヤバイよ。病院行った方がいい。今日は人数も多いし、店は大丈夫だから病院行きな」
私「わかりました。ほんとすみませんオエーッ」
フラフラになりながらも、なんとか運転して、病院へ行きました。
先生「酷い脱水症状を起こしていますね。危険なので、これから点滴を打ちます。それが終わったら帰っていいです」
そこから3年半で結婚しました
この、とあるラブホで起こった事件のことを、「ゲロホテル事件」と呼んでいます。
今や笑い話ですが、当時どう思っていたの?と旦那に聞くと、「ただ呆れた。ゲロ臭くて寝れんかった」だそうです。
多分、若い男なら、私をほったらかして帰っていたでしょう。
エッチするどころか、酔っ払いの介抱をしなければならない訳ですから。
旦那は「帰るに帰れんから、しょうがなく介抱してやっただけだ」と言っていましたが、彼があまのじゃくであること、本当は優しくて頼りがいのある男らしい人だということを私は知っています。
ゲロホテル事件のあとは、毎週末飲みに行ったり、デートしたり。気づくとそれが当たり前になっていました。
これって付き合っとんかな?と心配になったので、意を決して聞いてみると、
「俺らはいい大人なんだから、ガキみたいに告白するとか、そんな言葉なんかいらんだろ。こうやって毎週来とるし毎日電話しとるってことは、付き合っとるってことじゃないのか?」
とのこと。
その後3年半の紆余曲折を経て、結婚に至ったのです。
そして、今は結婚して3年を過ぎました。
一つ言えることは、
あのときのホテルの清掃係の方、本当にごめんなさい……。